総評
端的に言えば「かつての同僚に会いに小旅行をする」という、それだけの物語なのだけど、その進行は非常にゆるやか。文量の大半は過去の回想に充てられる。
過去の回想とはつまり、執事であるスティーブンの回想だ。イギリスの大屋敷であるダーリントンホールを舞台にして、そこで巻き起こった数々の出来事が懐古される。
彼の語る過去はまさしくあらすじの通り。
長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。
かつての栄華を、痛みと失敗も含めて郷愁する気持ちがたまらなく切ない。自分が経験していない過去を懐かしいとさえ感じてしまう、恐ろしいほどの筆力に引き込まれた。
ただし、回想があまりに多いので、テンポを重んじる読者には向かないと思われる。
また、執事という仕事の変遷が、スティーブンのこだわりと挟持を持って語られる。そこには流行り廃りがあり、だけど核となる品格や至上命題が存在している。そんな仕事小説的な側面には、淡く共感するものがあった。
そして、この小説ではイギリスへの批判のようなセリフが何度か登場する。それはカズオ・イシグロによる、愛と冷静な分析を伴った、ある種イギリスへのエールのように思えた。
敗戦国ドイツへの各国の見方や、反ユダヤの芽吹きなど、20世紀前半の欧米の空気感を感じることができる、という意味でも良書だった。個人的にはケインズとウェルズが同時代人だというのが、新鮮な再発見だった。しかもダーリントンホールの来客として紹介されるのがユニーク。
物語の終盤、スティーブンは旅を完遂させる。旅のおわりに立ち寄った海辺で自らの半生を想い、涙を流す。決して足元に穴が空くような絶望ではなく、さざなみのように静かな後悔が押し寄せる。
スティーブンの雇い主であるダーリントン卿は政治的に利用されていた。スティーブンは最も身近なところにいて、それに気づくことができなかった。
また、自分に向けられた女中頭の恋心にさえ気づかなかった。
ダーリントンホールの崩壊が水面下で進行していたことを、つまり盲目的に生きてきたことを、人生の後半になって気付かされる。その心理的な徒労感たるや…。
だけど、海辺で出会った老人の言葉が沁みる。
わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。何だって?昔ほどうまく仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。わしを見てごらん。隠居してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向き続けなくちゃいかん
人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい
その言葉を受け、スティーブンはまた前を向き始める。それは一筋の希望を伴って、さわやかな読後感をもたせた。
人生で何度か読み返したい、とりわけ自分が引退した時に是非とも再読したい良書だった。
星評価
★★★★☆