レビュー
かれこれ3年以上前から、ニッポン放送の「テレフォン人生相談」を聴き続けている。加藤先生の的確で鋭いアドバイスは、テレフォン人生相談の魅力の1つ。
そんな加藤先生への愛が高まって、ついに著作を読むに至った。
果たして、著作の中でも加藤先生の的確さは健在だった。ありのままの現実を説くのだけど、根底には深い愛があるので読めてしまう。
とりわけ本書では「がんばってきたけど、生きるのに疲れてしまった人」への深い理解と愛に溢れている。テレフォン人生相談の回答と同じく、まるで大きな手で包んでくれるようで、読む手によっては泣いてしまうんじゃないかなと思った。
特に、以下の文章に激しく共感した。
生きることに疲れたあなたは、いま誰かに会いたいか? もし誰にも会いたくないならば、じつはいままであなたは嫌いな人に尽くして生きてきたのである。
かつて自分は、疲れすぎて誰にも会いたくない時期があった。今にして思えば、嫌いな人に尽くしたんだろうなと後悔している。
生きるのに疲れたすべての人にオススメしたい一冊。
自分がつらつらと書くのは蛇足でしか無いのでw、以下に心に残った箇所を抜粋。
一章 なぜ生きることに疲れてしまうのか
- 情緒的に成熟した人だけが、人を愛することができる
- 親から利用されて育ってしまうと、人から利用されることを当たりと受け取ってしまう
- 生きることに疲れたあなたは、いまこうして生きているというだけで偉大なのである。死んで当たり前なのに生きているのである。
- 怯えながら生きる一日は膨大なエネルギーを必要とする
二章 愛情飢餓感がマイナス発想の原点
- 自分の不幸を嘆く人のまわりに人は集まらない
- 同じ体験から生ずる感情が違う
- この奥さんにとって大切なのは、事件を解決することではなくて、毎日「辛い、辛い」と嘆き、周囲の人に文句を言っていられる環境なのである。惨めに生きることが復讐になっている以上、相手の言うことを、聞こうという意思ははじめからない。
- 不幸を訴える人は、それによって周囲の人を責めているからである。
- 幼児的願望が満たされず、愛情飢餓感が強い人は相手と対立できない。
三章 生きることに疲れた時は、生き方を変える時
- 憎しみが心の底にあるからあなたは他人に優しくなれない。他人に優しくなれないから結局は本当の友達もできない -「惨めの中毒」という言葉が英語にはある 彼らはいつも自分の惨めさを誇示していなければ生きていられないのである。
- 生きることに疲れたあなたは、いま誰かに会いたいか? もし誰にも会いたくないならば、じつはいままであなたは嫌いな人に尽くして生きてきたのである。あなたのまわりには誠実な人はいなかったのだろう。
四章 うつ病者の感情表現
- 生きることに疲れたあなたは、いま気力が減退しているのに落ち着かない。色々なことにイライラしている。一つは自分に満足していない、自己実現していないからである。もう一つは心の底の無意識の領域に憎しみがあるからだろう。
五章 春がくるまで休もう
- 別れてみれば「なんであんなやつに迎合していたんだ」と驚くのだが、迎合して貢いでいるときはそれに気づかない。貢げば貢ぐほど、当たり前になる。貢げば貢ぐほど、自分が頼りなくなってくる。
- 生命力の低下したあなたを理解してくれる人はいま周囲に誰もいない。その周囲にあなたは迎合して生きてきたのだ。
- 生命力の低下したいまこそ、人生とはこういうものだと理解する時なのだ。生きることに疲れた時、それは自分を理解する時なのである。
六章 「生きるための決断」をせよ
- 自分の失った人生への未練で一生を終わる人は多い
- 毎日が面白くないとすれば、それはあなたの毎日の事実が面白くないのではなく、面白さを感じるあなたの心の能力が欠如していることが問題なのである
七章 うつ病の心理
- うつ病になるような人、つまり生きるのに疲れた人は、ひとからなにかをしてもらうことばかり考える。
星評価
★★★★☆