総評
珠玉の短編集、という形容がこの上なく似合うSF短編集。
短編のそれぞれのジャンルは以下の通り。
- 商人と錬金術師の門: タイムトラベルとファンタジー
- 息吹: アンドロイドと意識と文明
- 予期される未来: 未来予測と自由意志
- ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル: AI、人工知能
- デイシー式全自動ナニー: ロボットと子どもの教育
- 偽りのない事実、偽りのない気持ち: 言語と文化
- 大いなる沈黙: 音と宇宙と知的生命体
- オムファロス: 生物と宇宙と宗教
- 不安は自由のめまい: パラレルワールドと善悪
SFのそれぞれのジャンルに関して、レベルの高い物語が展開される。
だけど、主眼は人間に置かれている。人間、というよりも人類や知的生命体の在り方が問われているような読後感。
個人的に良かった順に並べると、以下の通りかな。
- ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル
- 息吹
- 不安は自由のめまい
- 商人と錬金術師の門
- 大いなる沈黙
- 偽りのない事実、偽りのない気持ち
- オムファロス
- 予期される未来
- デイシー式全自動ナニー
あと、言うまでもなく大森望さんの翻訳が素晴らしすぎる。
各論
ここからは各短編毎の感想。(注意: ネタバレあり)
商人と錬金術師の門
王道のタイムトラベルもの。難しさはなく、SFというよりファンタジーに近い。
とは言え、舞台となったバグダッドやカイロに馴染みが薄く、そこは新鮮だった。
千夜一夜物語がネタ元らしい…ので知っていると、より楽しめたかもしれない。
この世にはもとに戻せない4つのものがある。「口から出た言葉、放たれた矢、過ぎた人生、失った機会」
息吹
表題作。
アンドロイドしかいない世界が舞台。主人公のアンドロイドは自己解剖を行う。彼は解剖学の徒であり、意識と記憶のヒミツを探ろうとする。
彼は「気流のパターンが意識のエンコード」だという自らの真実を発見する。もう、面白すぎる。
世界中で時計が遅れ始めたというミステリー要素が登場。この正体とはつまり、気流の弱まりだった。気流が弱まるから、思考が遅くなり、時計が早くなったように思えた。
世界の消滅とその先の希望、そして生き返りということまで書き切ってしまう。主人公は最後に、生き返るのは個々の生命ではなく文明全体なのだと気づきを得る。
翻訳が良すぎる。久しぶりの泣けるSF。
予期される未来
10ページに満たない超短編SF。未来予測が可能となり、自由意志が否定された未来から送られた信号、という形の文章。なるほど。
ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル
ブルー・ガンマ社は、ディジエントと呼ばれる人工知能を発売する。それは仮想空間上で飼育する動物やロボットのようなものだ。
その開発とテスト飼育に携わる人々の視点から、物語は描かれ始める。
テスト飼育の過程でとあるディジエントが「ファック」と発言してしまう。青ざめる現場。彼らはその発言をした従業員を特定し、その影響を遮断するためにすべてのディジエントの発育を特定の日付までロールバックしてしまう。AIに切なさを感じさせる手法は見事。
やがてディジエントは正式発売となる。ディジエントの飼い主が交流するフォーラムの投稿が文中に挿入される。レトリックとしてグッド。
それからサルメック社がロボットを開発する。それはソフトウェアではなくハードウェアであり、ディジエントの入れ物となる。ブルー・ガンマ社の人間が見守る中、初めてディジエントがロボットに入るシーンはドキドキしながら読んだ。
感情に訴えかけてくる良質人工知能SF。
AIに読み書きを教えるための教室があり、ディジエントの飼い主がそのためにお金を払っているという世界、面白すぎる。
元・動物園の飼育社であったアナの、ディジエントへの優しさに泣けてしまう。
喧嘩をしたディジエント自身から、辛さを忘れるためにあるポイントまでロールバックしてほしいと要求されるのは衝撃。
権利と可能性の側面から、AIが自分たちを法人化してほしいと言う展開は驚異的。
特定のスペースに接続するため、ハードウェアとしてのロボットに接続したソフトウェアであるAIが、パソコンを操作するというシーンはかなり印象に残る。
経験はアルゴリズム的に圧縮することはできない p.188
物語の終盤、彼らは世界の継続のために究極の選択を行う。人間を改造するのか、AIを改造するのか。
デイシー式全自動ナニー
15ページの超短編。
舞台は19世紀イギリス。デイシーという研究者が、全自動ナニー、つまり子守ロボットを作ったという話。
話の主眼はロボットというよりも、機械による子育ての、子どもへの影響、かな。子守ロボットに育てられた子どもは、ロボットとしかコミュニケートできなくなる、という顛末、
物語調ではなく、カタログの文章という形で書かれている。★3つ、といった感じ面白さ。
偽りのない事実、偽りのない気持ち
Remenという記憶を外部化するソフトウェアが登場する。あれ、ネットフリックスのブラックミラーでそんな話があったような。
と思いきや、話は転調。とある部族のもとをヨーロッパ人が訪れる。ヨーロッパ人は聖書と思われる紙を見せる。曰く、これは口頭で語られたものを記号化させたものだ、と。つまり、文章。
ヨーロッパ人モーズビーと、ジジンギの関係がフラットで相互理解があってよい。
ソフトウェアによって完全記憶が達成された時、個性はどのように生まれるのかという話。私たちは過去を選び取って、記憶している。そこに差異が生じる。
読み書きの文化は、口承文化を上書きしてしまう。事実を過去の失敗を認め、より良い未来を選び取ろうというメッセージを受け取った。
大いなる沈黙
鳥類のオームによる独白、という形式での短編。
人類はアレシボという宇宙へのメッセージを送り続けている。それは宇宙の声を聞くためのメッセージ。人類以外の知的生命体を検知するための仕組み。
一方で、とても身近に知的生命体がいるのに、とオームは独白する。音と宇宙と知的生命体をテーマにした良質な短編。
オムファロス
ジャンルとしては生物学と進化論かな。考古学者が物語の主人公。
宗教者が世界の真相を知り、それが想定外のものであった時にどういう受容をしていくのか。一人称で、ささやかな物語を伴って描かれる。
不安は自由のめまい
パラレルワールドもの。世界は都度分岐していくのだけど、もし分岐後の世界とコミュニケートできるとしたら…?という話。
分岐の存在を知ったあとの、意思決定の問題について。分岐があるとしても、人間としてより良い選択をしていくことが大切と説かれる。それは、分岐(つまり未来)においてより良いバージョンの自分を増やしていくこと。
善と悪にまで言及があるのが、SFとしての広がりを持っていて良い。
物語としてきちんと起伏があって、SFとしても小説としても楽しめる。だけど、究極的には人間の在り方について説かれるので、単なる小説以上の完成度を見た思い。
複数の視点から描かれつつも、分かりにくさは一切なく、むしろあの粋なエンディングにたどり着くために功を奏している。
星評価
★★★★★