日々是書評

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【アジア史観を培う】犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る 侵略に気づいていない日本人 - ペマ・ギャルポ

総評

チベットについて、自分は多くを知らない。「Free Tibet」という言葉を聞くに、どうやら中国から弾圧を受けていることは分かっていた。

2019年の香港の学生のデモを見て、ようやく日本も他人事ではないのだと思うに至った。今こそ、中国共産党について知る時だと思い、本書を読み進めていった。

果たして、タイトルに反して、本書の内容は手広い。チベットについて集中的に書かれているのは2章のみ。そこではチベットがいかにして中国共産党に取り込まれていったかが解説される。

それ以外の章では、筆者が日本とアジアのこれからについて憂慮し、取るべき未来を示してくれる。

筆者のペマ・ギャルポさんは戦後、難民として日本にやってきて帰化した。彼の目から見た日本を、本書を読むことで垣間見ることができる。その語り口はあまりにも暖かく、筆者が心から日本を愛していることが分かる。

本書のおかげでチベットが辿ってきた過去を把握することができた。さらには、中国共産党のこれまでについてもおさらいすることができる。また、戦勝国世界である現在において、アジアの連帯がどうあるべきかについても考えさせられた。

チベットについて知るつもりが、より大局的なアジア史観を教わった気分。かつての自分のような、アジア情勢について学びたい読者には強く薦めたい一冊。

各論

ここからは、章ごとの引用や、所感を。

一章 私の原風景「60年代の日本」

作者が愛と懐かしさをもって、少年時代を振り返る。そこで語られる60年代の日本は、どこか懐かしく暖かい。少し可笑しいエピソードなども含まれ、作者がどのように日本への愛を強めていったかがよく伝わってきた。本書の導入として、非常に上手いと思った。

最初のカルチャーショックはお茶の違いだった。チベットで主流なのはバター茶。

二章 チベットの悲劇と日本

当時のチベットには日本人が何人か出入りしており、研究もしていたことが分かった。

チベットは対中国という観点から、日清・日露戦争を終えた日本に関心を寄せていた。

チベットを助けるために日本は武器を与えていた。一方で、ABCD包囲網に苦しむ日本を助けるために、チベットは毛皮を与えていた。このような相互の助け合いがあった、ということが当時の在アジアのイギリス人によって供述されている。

チベットではかつての日本を見習って大日本帝国憲法明治維新を取り入れようとした。しかし、宗教層が邪魔をして実現はできなかった。結局、社会体制が整うことはなく改革派達は国外に退去させられてしまった。

中国は中華人民共和国が設立された1950年からチベット侵略を計画していた。その大義名分は帝国主義者を駆逐するというものだった。そのとき世界は朝鮮の戦争に注目していた。

中国はチベットと17か条協定を結んだがことごとく破られた。結局、チベットでは民族自治も認められ 宗教の自由も認められなかった。これは他の民族に対しても同じような状況が起こった。

チベットで起こったゲリラ活動は1958年に統一されていく。しかし、首都ラサでは中央貴族たちが協力しない。1959年ダライラマ法王はインドに亡命する。

チベットでは17世紀から鎖国体制を敷いてきた。かつ、チベットは高台にあるため、「平和ボケ」しており、19世紀の帝国主義体制には通用しなくなっていた。

チベットの近代化を阻害した一因として、チベットで大きな勢力を持っていた僧侶たちが考えられる。彼らは軍の拡張を否定しかつ国連への加入を批判した。チベットを滅ぼしてしまった原因の一つとして、国内の団結力のなさ、国際感覚のない一国平和主義、外交交渉の不手際などがあったことは素直に認めざるを得ない。

1950年から1976年の間にチベット人の犠牲者は合計120万人。

第3章 失われた日本の文化、言語、国家観

この章では作者がかつての日本を懐古しながら、いかに日本が変質していったかということについて語られる。戦後日本では戦後の復興からみんなで頑張っていこうという気風があった。しかし、日本のGDPが世界2位になり国際社会に日本が関与していくにしたがって、日本は脱亜を掲げるようになった。この頃から日本人の危機意識や外交に関する緊張感は薄れていったと作者は説く。

作者はフリーターに関して責任感がないと言うが、それには全く同意できない。フリーターに限らず昔の日本を少し美化しすぎているきらいがある。

政治において小選挙区制が悪だというのは同意する。 自由と民主主義が対立する概念であり、両方が必要だというのも新鮮な発見だった。

第4章 「国際化」の 流れの中で国際感覚を失った日本人

日本は島国であり領土を犯された経験があまりに少ない。 国の領土というのは固定したものではなく不断の努力によって死守するものである。 国際社会においては、逆説的だが自分の国を強く規定することが大切。

第5章 チベット人が見た覇権国家・中国

中国の問題点というのは、漢民族の中に潜在的に内在している中華思想である。習近平体制の一帯一路戦略はこの発想の上に成り立っている。 中国はもともと文化大革命で弱っていた、そのため日本は油断していた。また日本や世界にとっては隣国として大きなマーケットになり得るかもしれないという期待があった。

しかし国交正常化や友好条約を結ぶに従って、中国はその本性を現していった。当時の日本はまだ中国に対して正確な認識を持っておらず、中国に対してあまりに友好的な報道をしたりチベットを軽視するようなことをした。

鄧小平の時代において中国は留学生を世界に派遣したが、彼らは民主主義に目覚めてしまい中国の民主化を要求するようになった。これが中国の春と呼ばれている。中国共産党はそれを弾圧したがそれがピークに達したのが天安門事件だった。これによって日本と世界は中国の本質に気づいてしまった。中国にとって友好条約というのはあくまで時間稼ぎにすぎない。

第6章 歴史問題と日本の自己責任

この章では中国の南京大虐殺や韓国の従軍慰安婦問題について取り上げる。 それらは何も根拠が薄弱でありむしろ日本側が非を認めてしまった形となっている 戦中戦前の事においては東京裁判で判決が出たのであり、現在を生きる我々は国交正常化を境に過去のことは持ち出すべきではないと作者は主張する。

国ごとの歴史観が対立するというのはあくまで当たり前のことであり、そのことを政治や外交の面に持ち込ませないというのが大事であると筆者は説く。

中国はアヘン戦争に関してイギリスを批判したりはしていないし、韓国は朝鮮半島を侵略した中国に抗議していない。日本のみが歴史問題を持ち出せば譲るとみられている。

筆者は政治と歴史を混同しないべきと書く。

対等の関係というのは、お互いの意見が一致した関係ではなく、お互いの意見の不一致を当然の前提とした上で相互に助け合い時には対立し交流を続けるのがたいとの関係である。

ユネスコは記憶遺産として南京大虐殺を登録したが、チベットの虐殺に関しては登録されることはなかった。

第7章 大東亜会議の意義

この章では幅広くアジア全域について語られる。日本のアジアへの侵略はあくまで一面的な解説であり、アジア各国から見た時それがどのような意味を持っていたかについて筆者は語る。

そしてとりわけ筆者は日本がインドと連携することの重要性を説く。安倍首相のインド訪問はとても大きな意味を持ってした。東南アジアの国々も交えて連帯していくべきだと筆者は訴える。

星評価

★★★★★

今回紹介した本