日々是書評

書評初心者ですが、宜しくお願いします ^^

【引用・抜粋】総理の影: 菅義偉の正体 - 森功

レビュー

2020年、安倍晋三の退任により、暫定首相として菅義偉がその座についた。

平成生まれの自分は、菅義偉という人物について、あまり多くを知らない。というか、国内政治には明るい方ではない。そもそも政治家や政局について扱う本を読むのはこれが初めてかもしれない。

良い機会なので、菅義偉について書かれた「総理の影」を手にとってみた。

まず何よりもボリュームが多い。単純な分量というよりも、内容が多岐にわたるので、読むのにだいぶ時間がかかってしまった。

本書が扱うのは菅義偉本人だけではなく、その辺縁まで話が及ぶ。

例えば、満洲について。菅の父親は満州鉄道の敷設に携わっていた。そして「命からがら」秋田に返ってきた。という過去を持つ。そのように、菅本人のエピソードではないものの、周辺の話が適宜挟み込まれる。

その他には、横浜港湾事業、大阪府政、NHK への政治介入、沖縄基地問題、カジノ構想など。菅義偉が関わってきた分野について、かなり詳細に書かれる。なるほど、この出来事の裏にはそのような利権や政局があったのかと。非常に面白く読んだ。

総括として良書だった。「総理の影」と言うタイトルからは、何か陰謀論めいたイメージを持ってしまうが、インタビューや調査に根ざした非常に具体的な本だった。菅義偉本人がたどってきた道のりがよく分かるのはもちろんのこと、政財的な各分野について新しい学びを得た想い。

引用・抜粋

はじめに

菅義偉安倍晋三に初めて出会ったのは、かなり若い頃だったのか。政界進出後、まもない頃だったらしい。政策通として官僚やマスコミからの評価が高い。それでいて、門閥や学閥の背景がない。安倍晋三のナンバーツーとして、影の首相とまで呼ばれた。

第一章 橋下徹の生みの親

財政健全派の麻生太郎と、経済成長派の菅義偉の対立は、増税の見送りや解散総選挙という形で現れた。

菅は公明党竹中平蔵とパイプがある。竹中平蔵小泉政権では総務大臣だった。

大阪都構想を打ち上げた橋下徹首相官邸はパイプがあった。特に菅が取り持っていた。しかし、自民党内では維新への反感があった。

都構想には、維新の会以外全ての野党が反対した。橋下徹は、以前選挙に協力した公明党に対して特に憤り、選挙で対決しようとした。が、直前になって出馬を断念。ここで暗躍したのが菅義偉と目される。このとき公明党内部では、権力構造の転換が起こっており、反維新の勢力は弱まっていた。 出馬を断念した維新勢力に対して、公明党は都構想の住民投票を認めた。その後、橋下徹とも松井は公明党を表敬訪問している。

安倍晋三橋下徹は教育系イベントで知り合い、主に憲法改正などの面で意気投合。

しかし、2015年の住民投票で都構想は僅差で否決となった。橋下徹は政界を去る。がしかし、吉村と松井を市長と府長として擁立。これがまた官邸のバックアップを受けることとなった。自民党は反維新として表向きの候補者を擁立したものの、官邸は維新を応援しているので内部に揺れがあった。結果、吉村と松井は大差で勝利。

菅は安倍以前に橋下徹と知り合っており、職員削減政策などを授けた。菅は橋下徹を政界に上げた、いわば生みの親の意識がある。

第二章 菅一家の戦争体験

菅の父である和三郎は、農家を営んでいた。米だけでは食っていけないと判断し、いちごの生産を開始。工夫を凝らして、売上を上げていく。政治的な面では、町会議員だった。落選し、議長にはなれなかったものの。

菅の本家は電力会社。これが終戦後、東北電力となる。菅と電力会社の縁は深い。

和三郎は終戦以前、満州鉄道のエリート社員として働いていた。安倍晋三の祖父、岸信介が商工省の高級官僚として満州政策で辣腕を奮っていた。奇しくも両家との満州と深く関わっていた。

一般の満州移民は関東軍指揮のもと、日中戦争に駆り出された。が、満州鉄道敷設に関わっていた和三郎は遠方の戦場に駆り出されずに済んだ。 その後、菅一家(和三郎と嫁、そして長女と次女)は命からがら秋田に引き揚げてきた。

菅の姉の終戦後の回想あり。姉いわく、菅は家族想い。頻繁に電話をしたり、顔を合わせたりする。

第三章 上野駅

菅の少年時代から上京までについて。

少年時代、菅は経済的に恵まれた方だった。その時代にしては珍しく釣り竿や漫画雑誌を買い与えられていた。

上京はほぼ家出のような形。父への反発だった。

大学の就職課に相談した結果、法政大学OB会を紹介され、政治家である小此木彦三郎の秘書となる。7人の秘書のうち、末端の秘書だったが、これが政治の世界へのデビューとなった。

秘書時代、菅は政治家としての基礎を学ぶ。(支援者集めや対人の身のこなしなど)

気づけば、先輩秘書をごぼう抜きし、トップに躍り出ていた。

菅は横浜市議選に出馬。市会議員となり、その後影の市長との異名をとった。

菅は自民党横浜市連合会の会長ポストに座った。通常、都道府県の地方議員選挙は、地元選出の国会議員が県連や府連の会長として、選挙の陣頭指揮をとる。むろん神奈川にも自民党神奈川県連合会があり国会議員や県会議員、市町村会議員が所属している。が、こと神奈川では、県連より横浜市連のほうが格上なのだという

業界団体の陳情を次々と市議会にあげ、政策として実現していく。すると、産業界はますます自民党を応援するようになる。党が強くなるとは、そういう意味だろう。 日本で唯一の自民党横浜市連会館は、市政における菅の実力を見せつけるかっこうの場になったに違いない

第4章 港のキングメーカー

中国や韓国は港湾事業に国費を投入している。日本は地方自治体が運営しているので、負けてしまう、という危機感を持った人がいるのだと知らなかった。京浜港(東京、川崎、横浜の3つの港)に千葉や横須賀を加えて1つの港として整備するという構想も知らなかった。

90年代後半、政局は荒れていた。自民党を離党した小沢一郎が野党8党の連合を実現。さらに公明党は下野する勢力と残留勢力に別れた。自民党は1つでも多くの議席がほしいという状況で、そこに菅が紛れ込めた。

横浜の選挙も熾烈を極め、元公明党・保守の上田晃弘が強敵となる。ここで菅が破れていたら、彼は秋田に帰っていたかもしれなかった。

明治以降の横浜港の歴史について語られれる。

港湾事業というのは、なかば国策だった。そして人足請負業は表向きは船会社の下請けだが、一方で暴力団関係者も絡んでいた。菅を支援してきた藤木企業も元はそうした港湾荷役事業者だった。菅の人的ネットワークは、通産大臣運輸大臣を歴任してきた小此木彦三郎の秘書だったときから形成されているが、藤木企業との交わりも、そこから始まる。

山口組三代目の田岡もまた港湾事業に参入し、藤木の後輩のような振る舞いをしたが、他の組が支配してきた港湾開発利権を手に入れて、資金力を蓄える狙いがあった。と警察関係者は口をそろえる。

田岡の死後、藤木の4男である幸夫が全国船内荷役協会葬として葬儀を開いた。表向き暴力団の葬儀ではないので、多くの大物が訪れた。神戸芸能社で田岡が売り出した美空ひばりも葬儀に参列した。

東京に次ぐ国内第二位の都市横浜の経済は、その三割を港湾関係のビジネスに負っているといわれる。コンテナ輸送や荷役、陸運、倉庫にいたるおよそ二百五十社が、横浜の港で仕事をしている。そして藤木企業が、その港町横浜の頂点に君臨している

菅は官房長官になった後も、藤木や小此木と繋がっていた。菅が衆院に当選した当時、橘康太郎という「新人殺し」に出会う。しかし橘は藤木の後輩であり、藤木が話を通すと、菅への態度は変わった。

菅の新人時代、JR に債務を負わせる向きがあった。菅、小此木、橘はそれに反対。菅は民営化したのだから、それはおかしいと主張。

梶山静六は小此木の動機。亀井静香らとともに4Kと呼ばれ、自民党の反主流派だった。

国土交通省政務官に就任した菅。千葉県知事を狙う森田から、アクアラインの値下げを提案され、同調した。

同じ東北出身ということで、菅を田中角栄と同じ向きに捉える風潮がある。しかし、日本列島改造論を唱えた田中角栄と異なり、菅のルーツは新自由主義。師である小此木や、さらにもとを正せば小此木が欧米にならった中曽根の旗振り役だった。

小泉政権では竹中平蔵総務大臣となり、菅はその副大臣に就任した。

政治家として菅が飛躍した転機の一つとして、この総務副大臣経験を挙げる。簡単にいえば、郵政民営化は小泉が方向を決め、竹中が指示し、菅が仕上げた。郵政民営化の実現により、実務に長けた政治家として菅の評価が上がったのは間違いない。

拉致問題に関して。

菅が次期総理大臣として安倍を持ち上げ始めたのは、その国家間に着目したから。それが北朝鮮拉致問題の頃。

総務大臣放送法に則り、NHKに対して大きな権限を持っている。菅はNHKに対して、拉致問題に留意すること、と命じた。報道の自由への侵害だとの批判はあったが、報道法に則った行為であると、原理原則論を曲げなかった。菅と安倍はNHKの運営へ介入していくようになる。

第六章 メディア支配

NHKは特殊な法人で、放送法と国会の予算承認に縛られる。国際放送に関しては補助金が出ており、もともと政治介入を招きやすい土壌があった。

2006年第一次安倍内閣では、総務大臣に菅が抜擢された。このときのNHKというのはちょうど、殿様商売が批判され、経営改革が必要とされていた。

菅は受信料の義務化を通じた国営化を狙っていた。その下地として受信料の値下げがあった。

菅はNHKの経営委員長に、富士フィルム会長の古森を据えた。古森は経営手腕が評価されたのみならず、保守派であり安倍シンパだった。

首脳人事、経営方針などは経営委員が承認しないと動かない。そしてその衆参両院の同意を得て経営委員を任命するのが内閣総理大臣

先の拉致問題に関するNHKへの「命令」は、大きな批判を浴び、放送法での規定が「命令」から「要請」に変更された。

第一次安倍内閣は短命に終わり、NHKへの政治介入は道半ばとなった。安倍政権で任命された古森もまた、1年半でNHKを去ることになった。

第二次安倍内閣は、NHK 人事のリベンジに望む。

衆参のねじれが存在していた頃は、まだ露骨にNHKへの政治介入をしなかった。それは野党に攻撃材料を与えることになる。しかし、徐々に民主党政権時代の人事を覆していく。

JT元社長本田勝彦をはじめ、過激な右翼発言で評判になった作家の百田尚樹や埼玉大名誉教授の長谷川三千子海陽中等教育学校長の中島尚正ら四人が新たに経営委員に加わった。いずれも安倍シンパとして知られるメンバーであり、露骨な官邸人事と評判になった。

そして2014年、籾井勝人が会長に就任。

菅の強みは、その動きがあまりメディアで報じられない点。影の総理と言われた所以。また、メディア関係者に菅の信奉者が多い。

第7章 出口の見えない沖縄

沖縄の基地問題官房長官の仕事の1つ。菅は普天間基地辺野古移設したい。翁長知事は辺野古移転に反対。

橋本首相時代の官房長官である梶山は、菅が師と仰いでいるが、沖縄の政財界に好印象を持って受け入れられた。また、菅が理想の官房長官だと崇める、小渕政権時代の官房長官である野中広務もまた基地問題に取り組んだ。そのような事情から、菅は沖縄問題の取り組みに熱心さを見せる。

2014年の県知事選について。翁長に対して、安倍政権がバックアップしたのが仲井真知事。

仲井真は民主党政権時代、基地反対派だった。が、安倍政権がかつてないほど潤沢な予算を沖縄に割いてからは、方針が変わった。そこには、菅および沖縄の財界の重鎮による4者会談が契機と見られる。

菅は基地移設容認の引き換えとしてUSJ誘致を想定していた。その下敷きとなっているのがカジノ構想。安倍晋三は首相以前にカジノ議連の最高顧問を勤めていた。そしてこのカジノ構想は仲井真県政で進められてきた。

が、基地移設を決めた途端、仲井真の支持率は急落。慌てた自民党は仲井真の代わりに石破茂を県知事選の候補者として立てようとしたものの、仲井真を説得できず。地元財界の有力者や移設反対派の票は、翁長に流れた。

そして、2014年の県知事選では翁長が10万票の大差をつけて勝利した。

また、菅が力を入れていたのが、グアムへの海兵隊移転計画。沖縄の負担軽減策である。これは辺野古移設に反対する勢力への懐柔策であった。民主党への政権交代時代にいったんは頓挫するものの、第二次安倍政権のもので復活。菅としては異例となる、報道陣を引き連れたグアム視察を行った。

USJ の誘致については、現地法人コムキャストに買収され、社長が交代したことも有り、白紙に終わる。これがカジノ構想に大きな打撃を与えたと見られる。

第9章 知られざる人脈とカネ

菅の力の源泉は人脈。USJ 招致については、旧知である LAWSONを立て直した新浪剛史USJ の CEO と引き合わあせてくれた。

カジノ構想の最有力地である横浜市について。セガサミーアミューズメント施設を作ろうとしていたが、リーマンショックにより頓挫。これに三菱地所は腹を立てる。

そして安倍内閣時代、IRカジノ構想が再び盛り上がり、山下ふ頭が候補地にあがる。反対する企業はいない。ここで菅の采配が期待される。

政治とカネの問題について。政財界ではどうしても利権的なものが発生してしまう。

星評価

今回紹介した本