日々是書評

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【引用・抜粋】日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか - 矢部宏治

レビュー

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか。非常に心を掴むタイトルであります。

ここ数年、沖縄に関する書籍をいくつか読みました。そこで浮かび上がってきたのは、今まではとは異なる沖縄の顔。

では原発はどうでしょうか。福島で起こった原発事故について、自分はあまり多くのことを知らない。そんな自分にとって、本書はとても興味を引くものでした。

果たして内容は、事前の想定よりも1段深い。基地と原発を別個の現象と捉えるのではなく、通底する問題について論じられます。

その問題とは、戦後に作られた統治構造。GHQによって与えられた憲法と、昭和天皇がサジェストした沖縄リース計画。戦後70年に渡って、この構造が続いてきたことが解説されます。

なるほど。日本という国の在り方、および国際社会での立ち位置について、再認識をさせられるような1冊。

引用・抜粋

以下、内容の引用と抜粋です。

PART1 沖縄の謎 基地と憲法

米軍は、法的には日本の上空をどんな高さで飛んでも良い。住宅地でも。しかし、沖縄では、米軍関係者の住宅地の上では、低空飛行はされない。 問題は、それを許している日本側の対応にある。

筆者が沖縄での活動のようなことを始めたのは、鳩山政権の崩壊がきっかけ。 政権交代の半年前、民主党党首だった小沢一郎の公設秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕された。これは検察による狙い撃ちで、よくあること。後に冤罪と発覚。しかし、与党になったあとでも、検察の攻撃は止まなかった。

そもそも自民党は、結党当時、CIAから巨額の資金援助を受けていた。それは冷戦時代に、日本に反共の防波堤にするため。右派に力を与えていた。 そんな事情があるので、アメリカ政府と交渉して米軍基地問題を解決と言っても、そもそも無理な話。

米軍基地の写真が違法になるかどうかという「公安関係の問題」について。法律とは関係ない。公安が捕まえる必要があると思えば捕まえる。転び公妨。本を書いた人間をつかまえると、逆に本が売れてしまうので、筆者は捕まらない、とアドバイスされた。

沖縄の地上の18%は米軍基地。しかし上空は100%米軍が自由にできる。 さらに言えば、1953年に日米両政府が合意した取り決めによって、米軍機が墜落事故を起こした時に米軍はその周辺を封鎖して日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する、といった法的権利を持っている。

その最も有名な例が、2004年に起きた沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故。米軍が突然、日本国憲法を超えた存在となる。

嘉手納の弾薬庫には1300発の核兵器が貯蔵されていた(アメリカの公文書による数字)。そしてそれを本土の基地に運び、ソ連や中国を核攻撃できるようにしていた。 ソ連キューバに核ミサイルを数発配備して大騒ぎになったが、アメリカはずっとひどいことをしていた。

憲法9条の「戦力放棄」とは、あくまで日本の戦力の話。米軍はきっちりと沖縄を軍事要塞化していた。

日本国憲法、条約、日本の法律(憲法以外の国内法)という順番で、上位法から下位法となっている。

日米合同委員会とは、日米地位協定にもとづき在日米軍をどう運用するか毎月行なわれる会議。しかしここでの取り決めに後悔義務はなく、すべて「密約」となっている。

官僚にとって法律は存在基盤。下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然。しかも、日米合同委員会のメンバーであった官僚はめざましく出世している。とくに法務省

PART 2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか

福島でも、沖縄と同じ構造がある。憲法は機能せず、被害者(市民)が裁判をしても負ける。

原発事故において、逮捕者はゼロ。警察は東京電力に捜査に入らない。安全対策の不備を検証しない。

ふくしま集団疎開裁判について。放射能健康被害を大人よりも受けやすい子どもたちを疎開するための行政措置と保証を求めるもの。仙台高等裁判所は、「とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念される」としつつも、行政措置をとる必要はない、という判決を出した。

沖縄には、長い戦いの歴史がある。琉球新報沖縄タイムスという新聞2社がただしい情報を伝えている。政治家や知識人も豊富。 一方で、福島にはそうしたまとまった社会勢力が存在しない。問題なく暮らしていたところに突然、原発が爆発した。

原発維持派の主犯は、「原発の再稼働によって利益を得る勢力全員」。本書では明らかにできない。

福島の事故を見て、ドイツやイタリアは脱原発を決めた。台湾でも市民のデモによって、新規の原発が建設中止に追い込まれた。動かそうとする勢力ではなく、止めるためのシステムも大事。

密約法体系というさらに上位の合意がある。1957年に日本のアメリカ大使館から本国の国務省にあてて送られれた秘密報告書によると、日本に駐留する米軍の権利について、占領期から独立以降にかけてほとんどかわることなく維持されたことが分かる。

1960年に岸信介が安保条約を改定し、米軍の占領という不平等に終止符を打った、と自民党の政治家は言う。しかし、岸政権の藤山外務大臣マッカーサー駐日アメリカ大使(マッカーサー元帥の甥)がサインした「基地の権利に関する密約」では、米軍の権利が不変であることが書かれている。

オスプレイの配備に関して、沖縄県のすべての市町村の議会が「受け入れ反対」を表明し、10万人の沖縄県民が集まって反対集会を開いた。しかし、配備され、訓練が行なわれるようになった。

辺野古基地に関しても、圧倒的多数でデニー新知事を選んだ民意を無視して、辺野古の埋め立てが開始された。

在日米軍基地はバックドアのようなもの。米軍関係者はそこから自由に出入りし、そのまま基地のフェンスの外に出たり入ったりしている。日本政府は、日本国内にどういうアメリカ人が何人いるのか、まったく把握できていない。米軍関係者だけではなく、CIAの工作員が何人でも自由に入国している。

外国軍が駐留している国は独立国ではない。フィリピンやイラクは歴史的に米軍を追い出してきた。

米軍に「治外法権」を与えている裏マニュアルについて。最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」の3つがある。最初の2つに関しては、「検証・法治国家法科」の著者である「密約ー日米地位協定と米兵犯罪」が、3つ目に関しては「本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」」が参考になる。

「駐日アメリカ大使→外務省→日本政府→法務省最高裁」という裏側の権力チャネルがある。この副作用は、官僚がオモテのルールを軽視するようになってしまった。実際、裏側の法体系を無視した鳩山政権は9ヶ月で崩壊し、官僚の言いなりにふるまった野田政権は1年4ヶ月つづいた。

福島原発事故の「子ども被災者支援法」に関して。1年以上に渡って実際の支援がなかった。まず意見公聴会を主張した谷岡郁子議員に対して、復興庁の水野靖久参事官は「政府は必要な措置を講じる。なにが必要かは政府が決める」と言い放った。統治行為論の本質であり、象徴的な発言。

約20年にわたって原発建設の現場監督をつとめた平井憲夫の「原発がどんなものか知ってほしい」という手記がある。「電力会社は、原発で働く作業員に対して、原発は安全だという洗脳教育を行っている。美浜の事故は、多重防護の安全システムが次々と効かなくなり、あと0.7秒で炉が空焚きになってチェルノブイリ級の大事故になるところだった。すでに熟練の職人は原発の建設現場からいなくなっており、作業員の95%は経験のない素人だから、老朽化した原発も危ないが新しい原発も同じくらい危ない」

PART3 安保村の謎① 昭和天皇日本国憲法

日米の密約に関して、御用学者による有権者委員会によって、非論理的な結論が出てしまった。

日本人は社会科学が苦手。立憲主義の意識が薄い。

原子力村とは、電力会社や原発メーカー、官僚、東大教授、マスコミなどが一体となってつくる利益共同体。対して、安保村とは日米安保推進派の利益共同体のこと。原子力村の経済規模は年間2兆円に対して、安保村のそれは五百数十兆円。

安保村中心の国造り、もっとはっきり言えば、軍事・外交面での徹底した対米従属路線をつくったのは実は昭和天皇とその側近グループ。しかし、戦争責任の問題が有り、このことは学校では教えられない。

昭和天皇は責任をとって退位しようとしたが、マッカーサーが許さなかった。日本の投資機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないと危惧された。

玉音放送によって300万人もの日本軍が武装解除に応じたのは、「天皇を利用した日本支配」の価値をいっそう高めた。

危機に際して逃亡する国王は多い。一方で昭和天皇は全面協力を申し出、マッカーサーの信頼をかちえた。

アレン・ダレスとは、CIAの実質的な創設者で、終戦工作におけるアメリカ側の交渉窓口となっていた。

こうして「アメリカの占領政策=日本の国家再生計画」という共同プロジェクトが始まる。それはまた、「天皇+米軍」という安保村の基本構造が誕生した瞬間でもある。

GHQの目標は2つあり、「2度と自分たちに歯向かう可能性がない国」にすることと「民主的な国」に改造すること。まず狂信的軍事国家たらしめた神道を廃止させた。

cf. 昭和天皇の地方巡幸。

天皇人間宣言は、明治時代は正常な民主主義があったが、昭和初期は軍部の暴走により一時的に異常な状態になった(なので天皇に戦争責任はない)。そして戦後また民主主義が戻ってきた。という歴史観を、高度成長期以降の日本人に植え付けた。

憲法は力の弱い国が強い国に対抗しうる手段。しかし、日本では誰が憲法を作ったかのコンセンサスがない。右派はGHQがつくったと言うし、左派は日本人がつくったという。筆者いわく、GHQが書いた。

GHQが定めた「検閲の指針」では、GHQへの批判、東京裁判に対する批判、GHQ憲法草案を書いたことに対する批判(および一切の言及)、検閲制度への言及、が検閲対象のトップ4項目。

1946年1月には466人いた衆議院議員のうち381人(全体の82%)がGHQによって「不適格」と判断され公職追放されていた。マッカーサーは旧体制はの勢力が残らないように徹底して排除していた。

権力の憲法によって抑えることができる。それが立憲主義

フランスの憲法は、占領下になれば憲法を修正してはいけないという1文が盛り込まれている。敗戦国であるドイツの憲法にも、「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」という1文がある。

日本の場合は、占領軍が被占領国の憲法草案を執筆し、それを被占領国自身が作成したことにした。それは西側諸国では他にほとんど類例のない、きわめて異常な出来事。

憲法が押し付けられたかと言うと、難しい。当時の日本人には憲法などとても書けなかった。そしてGHQは戦略的にも天皇を守りたかった。それを人々の手によって70年以上1文字も変えられなかったことが問題。

PART4 安保村の謎② 国連憲章第二次世界大戦後の世界

ポツダム宣言が戦後日本の原点なら、戦後世界の原点は大西洋憲章(イギリス・アメリカ共同宣言)。

戦後にかけての状況は、英米が右手にソ連、左手に中国という状況だった。一方で、日本ドイツイタリアは軍事的になんの連携プレーもできないまま終わった。

中国は共産圏として敵方のように見えるが、敵国条項が適用されているのは、日本とドイツ。

日本はアメリカの「同盟国&属国」というより、より本質的には「同盟国&潜在的敵国」だった。

フランスの法学者の中には、日本に関する敵対条項はいまだに有効だと考える者もいる。

戦後ドイツは周辺国への謝罪外交やヨーロッパへの貢献によって、敗戦国的状況から脱することができた。一方、日本ではすべてをアメリカに任せっきりにしてきたので、本質的な立場は変わっていない。周辺国(中国、韓国)との友好関係を深めることなく、むしろ経済的な優越さえ感じてきた。なので、アメリカから離れて自立しようとすれば、世界で一番下の法的ポジションからやりなおさなければならない。戦後の西ドイツのように。

PART5 最後の謎 自発的隷従とその歴史的起源

近衛文麿という貴族階級の、首相経験者がいた。昭和天皇に意見を言える数少ない人物。彼は、敗戦は避けれない無いが、敗戦よりも敗戦に伴って起こる共産主義革命の方が怖い、とした。「近衛上奏文」。共産化が起こった国では、それまでの支配層は死刑になっている。

降伏の決め手となったのは、広島への原爆投下よりも、ソ連対日参戦。

沖縄は「固有本土ではない」という認識が昭和天皇および日本の支配層にあった。

アメリカ側は、領土拡張という批判は受けたくない。その立場をアシストするかのように、昭和天皇は「沖縄メッセージ」を出した。つまり、沖縄の半永続的な長期リースというフィクションを提案した。これによって、沖縄から基地をなくしたうえでの返還構想は勢いを失った。

トルーマンは戦後の英雄であるマッカーサーを解任。昭和天皇と日本の支配層が軸足をダレスに移していたこともあった。

ブッシュのイラク戦争における「第二の日本にする」発言。

日本国内に「すべての戦力と交戦権を放棄した憲法第九条二項」と「人類史上最大の攻撃力をもつ米軍の駐留」という絶対的な矛盾が生まれてしまった。その巨大な矛盾が占領終了後も放置され、砂川裁判で爆発した結果、法治国家崩壊という現状をまねいてしまった。冷戦の開始によって、国連憲章にもとづく国連軍の編成は実現不可能になってしまったため。個別国家の戦争=違法という、国連の理念が見果てぬ夢に終わった。

米軍撤退を主張するなら、憲法9条の問題を何とかする必要がある。フィリピンやイタリアの憲法から学ぶ。専守防衛のしばりをかけて、最低限の防衛力をもつ。

今回紹介した本