総評
ところどころ、難解な小説だった。と感じるのは、自分に哲学の素養がないからかもしれない。
この小説は哲学を専攻するゲイの大学院生を主人公とする。
院生としての生活と、ゲイとしてのプライベートの生活。両者が交互に描かれる。
ゲイとしてのパートの描写はかなり直球だった。冒頭からいきなりハッテン場が登場。男に欲情するシーンはオブラートなんて一切なく描かれる。
主人公の存在はどこか希薄。実名が明かされることはなく、○○くんと表記される。また、主人公のセリフは独白のように「」なしで書かれることが多々あった。
その「非実在」が儚さを感じさせた。
しかし主人公はマイノリティの在り方について、哲学者ドゥルーズの研究を通じて、道を見出そうとする。
それはきっとこの言葉の通り。
「ゲイであること、思考すること、生きること――。」(帯コメントより)
少数派としての人生の意味を見出そうとする、その姿勢には強い共感を持った。
けれど、あの結末はどういう意味を持つのだろう。
主人公は論文を完成させることができなかった。実家は自己破産し、稼業は倒産となった。
彼は負けたのだろうか。
文中では、デッドラインという言葉が何度か登場する。「締め切り」としてのデッドラインと、「死線」としてのデッドライン。ダブルミーニングとして登場。
しかし最後の最後。「自分自身が魚になって泳ぎ、自分自身のデッドラインとなる。」という1つの結論めいた文章で締めくくられる。そこでは本書のタイトルどおり、カタカナ表記としてのデッドラインとなっている。
これはどういうことだろう。
そして物語の最後。主人公は夜の茂みでクスリをキメている。おそらく野外ハッテン場のような場所かもしれない。違法に違法が重なった場面。
これはバッドエンド…?なんとも救いのない結末に思えた。
再び、帯コメントを引用。
「もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに、いい男に。」
先述のコメントとは対極のような言葉だ。果たして、どちらが正しいのだろう。どちらが幸福なのだろう。
主人公は「ゲイとして思考する」道を外れ「いい男に抱かれる」道を歩み始めたのだろうか。そう考えると「動物になる」というのが伏線だったような気もしてくる。
あの結末に関して考えを巡らせてみたものの、うまく答えが出ない。なるほど、千葉雅也。なるほど、野間文芸新人賞。
悪く言えば、理解できずにもやもやが残る。よく言えば熟考する余地がある。
哲学に通じた読者は、この小説をどう読むのかが気になる。そして、ゲイではない読者の感想も読んでみたい。
各論
(以下、読みながら書いたメモ。)
生でのセックスと、HIVに対する人並みの恐れはリアルだと感じた。
2000年前後の空気感はそれなりによく描けている気がして、懐かしさを持って読むことができた。
登場人物の個性が薄い。そして人間関係の境界が曖昧。
誰がキーパーソンで、誰がそうでないのか。分かりづらい。なので、人物を覚えることを諦めながら読んだ。 まぁ、現実の交友ってそういうもんだから、リアルと言えばリアルなのだけど。
同窓会のシーン。
カムアウトしたにもかかわらず、彼らは現在の事実をスルーして、僕をあの田舎の日々への連れ戻す。
カミングアウトしたはずの同級生は、それが無かったかのように接してくる。こういうことってあるよなと、強い共感を持って読んだ。
複数のトピックを含む本書。哲学、ゲイ、欲情、ドライブ、上京、地元、円環、映画音楽制作、女としての母親、実家の破産、ゲイ雑誌を扱う書店、黎明期のインターネット、南洋の文化…等々。
ファーストインプレッションとしては「とっ散らかってる」だった。けれど、読み進めていくうちに、それが「余地」だと思えるようになる。後年に再読した時に、自分はどのような所感を持つのだろうか。トピックが多岐にわたるからこそ、そのような期待を抱かせた。
大学院の同級生である「知子」という女性が登場する。深夜にいきなり訪ねてきたかと思えば、始発を待たずしてタクシーで帰るという。
この、どこか危うさを感じさせる女性の描き方は、大崎善生の恋愛小説を思わせた。
徳永先生という教授が登場する。哲学の道を極めた者でもあり、個性的な人物でもある。
こういう人に師事できるなら、アカデミズムの世界は楽しそうだなと思う。どんな分野においても、魅力的な師匠がいるということは僥倖。
ゲイとして、男を意識し、そして最終的には自分自身を過剰に意識してしまう、というのはどこか分かる。そして周囲の世界では、つまりノンケの世界は驚くべきスピードで進んでいて、男女の恋愛に疎いまま置き去りにされる感覚というのは非常によく分かる。女性はゲイには見せない顔を持っている。
物語の終盤、主人公は論文を完成させることができなかった。連動するように、実家は自己破産となり、稼業は倒産となる。これは突然の展開で驚いた。作者の実体験だろうか。突如ねじ込まれた感じが否めない。
星評価
★★★★☆