レビュー
倫理学というものに自分は疎い。そんな自分にとって「善と悪を問い直す」という帯の一言は、惹きつけられるものがあった。
果たして、第一章から引き込まれた。
事実に基づく学問は実証科学。自然科学や社会科学の多くがこれに属す。仮定に基づくのが数学や論理学。倫理学はどちらでもなく、現実を作り出す判断。
現実を作り出す判断。なんともかっこいい。筆者は掴みが上手い。
虐殺を主張するような場合、その主義は信条の自由や権利を侵害するものであり、自己矛盾しているので倫理とは呼べない。
というのはなるほど。昨今の優生思想的な事件へのアンサーのような、納得感がある。
それから第二章では、代表的な倫理理論が紹介される。ホッブズ、ロック、ルソーから始まるこの章は、学生時代に学んだ知識を思い出させる。しかし倫理という切り口で紹介されると、また違った新鮮味を帯びる。
三章以降は「ひととひと」「ひとと身体」「ひととひとでないもの」について。多岐にわたる領域に関して、倫理的な解説が為される。
ただし、2章の内容が頭に入っていないと、それ以降の内容を納得感を持って読むのは難しいのではないかと感じた。そこで書かれていることが、筆者の意見なのか、あるいは倫理的な見解なのか。判別が難しかった。
そもそも、倫理的な判断自体が一枚岩ではないとうか。倫理理論が多様であるゆえに、その適用は難しいのだろうなと感じた。
なかなか一読で全てを理解するのは困難な1冊。それでも、知的好奇心に訴えたける本ではあったと思う。
引用・抜粋
1章 倫理とは何か。倫理学とはどういう学問か。
道徳と倫理の日本語的違いは曖昧だが、その語源の違いとは、道徳は世間のきまりを守ること、倫理は矜持ある生き方。
同じような人々で作られるのが共同体。異なる人々が構成するのが社会。近代史とは、共同体が開かれていく時代。
事実に基づく学問は実証科学。自然科学や社会科学の多くがこれに属す。仮定に基づくのが数学や論理学。倫理学はどちらでもなく、現実を作り出す判断。
ホロコーストが悪行であるという判断を下す。また、このとき、ツチ族の虐殺も悪行と判断できる。これを普遍妥当性要求という。
倫理は人によって異なる。という観点も見逃せない。深刻な対立に陥る可能性がある。しかし、虐殺を主張するような場合、その主義は信条の自由や権利を侵害するものであり、自己矛盾しているので倫理とは呼べない。
異なる主張が発生するとき、その論拠つまり理由の戦いとなる。その理由の行く末を推論するのが理性。この和解を目指すのが倫理学の戦場。
倫理学のフィールドは規範倫理学、記述倫理学、メタ倫理学。規範倫理学では、支持すべき理由、優先すべき理由、撤廃すべき理由を考える。記述倫理学は、倫理理論や倫理思想を記述し、思いつきでの倫理的指針を防ぐ。メタ倫理学は倫理的判断の語の意味を分析し、語義の曖昧性を排して混乱を防ぐ。
応用倫理学はまた別の次元。
「よい」と「正しい」は別。(の説明が面白い)
権利には対応する義務が2種類ある。Aさんが選挙に立候補できる、その権利を妨げない義務。Aさんが教育を受ける、その権利を叶えてやる義務。 一方で義務には、対応する権利がない場合も。履行すると称賛される義務(篤志家の募金など)と、履行しないと罰せられる義務。あるいは、不完全義務と完全義務。不完全義務はやり遂げられない(一人が寄付しても貧困は根絶できない)。完全義務はふつう完遂できる。後者は対応する権利がある。
全員が等しく与えられる平等と、分配基準が等しく適用される平等がある。後者は分配的正義とも。
法と倫理が重なり合うことは、必然的に真理ではない。それぞれ別の規範体系。しかし、無関係でもない。法の正当性において、倫理的判断はくだされる。また、法は厳格すぎると負担が強まる。また、看過が発生して権威が失墜する。その点で、倫理は法を補える。また、倫理は国境を越える。
政治はパワー・ポリティクスとも言われるが、倫理の役立つ余地はある。より多くの票を獲得するには、支持母体を超えて、人々に普遍的なよさを説く必要がある。そこに倫理の余地があり、政治家は確たる理由を根拠としなければならなくなる。これが倫理のしたたかさ。
古典経済学や行動経済学は実証科学の域を出ない。厚生経済学は倫理学やアリストテレスに言及している。
見てきたように、法・政治・経済は倫理学と無関係ではない。ただし、法的にはよいが倫理学的にはよくない、という状態もありえる。倫理学は最も抽象的な次元で展開される規範理論。
宗教はそれぞれに倫理観をもつ。
2章 代表的な倫理理論
社会契約論は、中世以降のヨーロッパで生まれた。社会とは政治社会を意味し、国家と同義。なぜ人間のあいだに統治する・されるの関係があるのか。王の正統性が改めて問われた。
ホッブズのリヴァイアサンについて。万人の万人に対する闘争とは、自然状態での人の有り様。人の能力は(ほぼ)平等なので、収奪のチャンスと危機もまた平等にある。この生存の危機を避けるために、闘争を回避するのが、統治者をもつこと。
ロックの統治論について。労働が所有を生む。元々自然であったものは人のものになる。ただし、限度はある。また、貧富の差は労働によって挽回できる。 統治者は自然法の執行者の側面を持つ。
ルソーの社会契約論について。ルソーは貧富の差と不平等に着目。政府は国民が選ぶ。政府は全員の幸福を追求する一般意思を持つ。それでないなら、罷免される。人々は自分の利潤を追求する特殊意思を持つ。それが一般意思に反するものなら罰せられる。国民と政府の力関係はバランスする。
ロールズの正義論について。格差をある意味では肯定する。ただし、全員が競争に参加できるようにすること(公正な機会均等の原理)。そして、多くを手に入れたものには累進的に課税して、不遇にある人を下支えすること(格差原理)。
以上、見てきたように、社会契約論は一枚岩ではない。正義の執行は共通してるが、よさはキーではない。
自己利益から出発する社会契約論とは異なり、自己利益を動機とすることを戒めるのが、カントの義務倫理学。
他者の利益と矛盾しない生き方を選び取ることが自由。そうでなければ、自分一人の幸福をめざす意思に支配されており、それはつまり悪。
他人を手段化してはいけない。目的とする。つまり、尊厳を尊重する。
討議倫理学は、討議(互いの人間性を尊重したコミュニケーション)を通じて形成された道徳を必要とする。
功利主義は全体幸福を目指す。怪不快は人によって異なるが、全体での幸福の総量が多い判断が善である。
ヒュームの共感理論では、善意を基礎に置く倫理理論。人間が倫理的な行為をするのは、元々それが備わっているから、と説く。
古代・中世の倫理理論は、優れた性格の形成を目的としていた。徳倫理学。
3章 ひととひと
市場、労働、格差、再分配、国家、戦争、移民などについて。倫理的な側面からべき論が語られる。
4章 人とその体
人体実験について。医の倫理が打ち立てられる。患者の理解できる言葉で、患者の同意を得て、初めて成り立つ。インフォームドコンセント。
医の倫理の次には、生命倫理学が誕生。
安楽死・死ぬ権利について。
出生前診断、クローン技術、他者としての子ども。真理は人間同士の関わり合いの中にある。=他者の尊重
未来倫理学について。気候変動などの問題について、なぜまだ生まれてもない100年後の人類に配慮する必要があるのか、という話。人類中心主義ではなく、人類が唯一の責任遂行生物であるゆえに、人類を大事に。
5章 ひととひとではないもの
自然、生物種、AI、ロボット兵器、育児ロボット、介護ロボット、製造物、宇宙人などについて、倫理が展開される。
章末の、筆者が空想した人類と宇宙人のやり取りはちょっと面白かった。