日々是書評

書評初心者ですが、宜しくお願いします ^^

【料理から、日本人としての精神性を高める】くらしのための料理学 - 土井善晴

レビュー

面白かった。本当に面白かった。

土井善晴さんという、名前は聴いたことのある料理家さん。そしてNHK出版という気軽に読めそうな感じ。

軽そうだし、試しに読んでみるか。そんな事前の期待を、大きく上回るような読書体験だった。

これは料理の本なのだけど、食材やレシピの話は出てこない。さらに1段高いところにある、料理と生活、文化と言った内容。

この本を読むと、自分の中のナショナリズムというか、日本人の心がくすぐられる。もっと和食を作りたくなる。自然を愛したくなる。

料理の場をサッと清める。食卓を、キッチンを、綺麗にする。これは今日から毎日実践しようと思う。

面白かった。熟練の料理家さんはこのような文章を書くのかと、新しい発見。簡潔なんだけど味がある。金言が散りばめられている。

生活を愛したいすべての人に、万人にオススメしたい良書。

引用・抜粋

料理をするのは、ちゃんとしたい(ちゃんと生きたい)から。 料理とは、他者とは無関係の自分の問題。

第一章 料理の進化の変遷を知る

戦後日本、西洋料理が流入し、豊かさの象徴として憧れを集めた。一方で、慎ましい和食はその下に。

食文化というのは、その土地の伝統とともにある。しかし、西欧では進化を人間存在の意義とする価値観によって、料理と経済が結びつきやすい。芸術的な料理が生まれることも。しかし、伝統の破壊につながる恐れがある。

そういった暮らしを体験すると、それで充分と感じられる豊かさがあるのが伝統(クラシック)。フランスでも、ハレではないケの食事というのは、とても質素。一汁一菜。

しかし日本に持ち込まれたのは、経済が作ったイデオロギー的な派手なフランス料理。

第二章 料理には「日常」と「非日常」

目覚めはハレ、眠りはケ、労働ケ、休息はハレ。その区別が日常の情緒を生み、循環して一つの人生をつくる。

和食にはかつてハレとケの区分があった。正月のおせちなどは、ハレの料理。見た目の良さ、日持ちするための工夫など、よく考えられている。また、初物、新物のような縁起のいい食材もハレ。大きなヒラメやスズキ、そして鯛など。一方で、大量漁獲されるサンマなどは、庶民の生活を支えるケの食事。

しかし、現代では焼肉や寿司のように、脂身が多い食事がハレのように思われ、しかも常食されている。

きれいにすることは神様へのご挨拶。食事前にさっとテーブルを拭くだけでも気持ちが晴れる。

一汁三菜は戦後導入された西洋の栄養学に由来する。和食には本来、メインディッシュという考え方はない。肉や魚が中心となれば、季節の食材が二の次となってしまう。そもそも和食では油揚げや豆腐や納豆によってタンパク質は食事の中に少しずつ織り込まれている。例えば肉じゃがは副菜を兼ねた主菜。そういう風に組み合わせて調和させているのが和食。

第3章 和食を考える

世界は気候によってモンスーン地帯西欧背砂漠地帯の三つに分けられる。それぞれが違った自然観を持ち、日本を含むモンスーン地帯では自然とは豊かさの象徴、西洋では自然とは人間に従順なもの、砂漠地帯では過酷なもの。

食文化はその土地の自然観の反映。西洋の料理が進化であるのに対して、和食は深化。自己の精神性を深めていく。

西洋の料理は食材を混ぜて全く新しいものを作るという意味で進化的であり科学的。和食では食材は混ぜるのではなく和えるもので英語にするとハーモニー、食材自体を大切にする。なので食べ物で遊ぶなと言った考え方が定着している。

懐石料理では素材の持ち味を活かすのでマヨネーズや油といった、度を越した調味料や脂身は美味しすぎる。肉の美味しさは和食文化には手に余るものだったので、ラーメンやカレーと行った日本人が大好きな料理でも、国民食として区別することで和食の純粋性が守られててきた。

箸を使う食文化の中でも端を横に置くのは日本だけ。箸を横に置くことで人間と自然(食材)との境界を表している。お膳も同様。

食べるという行為は視覚聴覚触覚嗅覚によって予測し、結果を見極める味覚によって楽しみ幸福感を味わうもの。

第4章 料理が暮らしを作る

和食とは水の料理と言われるように手洗いや清掃が大事。食材や調理場を清めることでけじめがつく。けじめ始末をつけることは人間を磨き、暮らしの質を上げることにつながる。

住むとは、澄む。

食事とは今この瞬間を心に留めその場を共有するもの。その味わいには喜びも悲しみもある。味わいには過去の思い出も未来への創造もある。和食に関わることが全てが変化する、今しかない一期一会の出会い。

その瞬間を心に留め、心に楔を打つことを日本人はもののあはれと表現してきました。

第5章 「作る」と「食べる」は重なる

人間は二本の足で立ち上がることで両手を自由に使えるようになった。2本の手を使って食べ物をもち料理をすることができた。

そもそも料理とは消化の外部化。人間は賢いから料理をしたのではなく、料理をすることで賢くなった。

人間は料理をすること出来た余暇を利用して様々な文化を生み出し、人口が増え、家族が集まることで村を作り社会が大きくなった。

西洋の料理では食べる人はナイフとフォークを使っていわば料理をしてるようなもの。そこにはクリエイションがある。一方和食では、料理はすでに出来上がっており食べる人と作る人が分断されがち。そこで食べる人は精神的に作る人に心を合わせる。

第6章 料理の利他性

料理は利他性を持っている。誰かを想い誰かのために作ると言うこと。

料理とは人間が持つ基礎的側面。工業化などによってオートメーションが進むと失われてしまいがちなもの。

一汁一菜の同じような料理の繰り返しでも、有限だからこそそこには無限の変化があり無限の気づきがある。

おしまい

とにかく綺麗にすること、食事の場を清潔に保つこと。